夏目漱石未完の絶筆『明暗』

この本は、長編小説が多い漱石の小説の中でも異例の長さです。

未完の状態で約600頁ですから、書き続けたら裕に1000頁は超えていたのではないかと思います。

この本のストーリーは非常に複雑です。

平凡な幸せそうに見える夫婦が、実はお互いを理解できずに腹の探りあいをしており、それにも関わらず周囲の人間は、その見せ掛けの仲の良さに翻弄され、夫婦との対立を深めます。

物語は、主人公に昔将来を誓った女性がいたことがわかり急展開しますが、結局その女性と主人公が温泉で「密会」したところで、漱石の死によって筆は置かれています。

主人公は津田という男性ですが、主人公と呼んでよいかは微妙なところです。

なぜならこの作品では、津田の頭の中で構築された人間関係が描写されるだけではなくて、津田と関わるそれぞれの人が、それぞれ独自の人間関係を構築しています。

つまり津田は便宜上主人公なのであって、あくまで「one of them」に過ぎないのです。

津田の妻お延の心理描写は、津田のそれよりも緻密に感じられるし、津田の友人小林が熱弁を揮うとき、主人公の津田は脇役に押しのけられます。

「あとがき」でもある通り、この視点の置き方が、以前の作品とは大きく異なります。

例えば、『こころ』では、三角関係の一角となった先生の奥さんの心情や、人間関係は語られないままでした。

また、『行人』においても、ほとんどが神経症に悩む一郎の、妄想とも言っても良い頭の中の考えで埋め尽くされていました。

漱石は主人公を特別視しないことによって、全ての登場人物を相対化することに成功しています。

ただこの「仕掛け」によって、小説はまるで迷路のように入り組んでいます。

全ての主人公が他者との関わりの上で自己を捉え、自分の本当の感情を殺しながら、ある種の見栄を張って生きている・・・。

これはまさに漱石が長年危惧してきた「技巧」に繕われた人間関係です。

人間はいつの間にか、自分の感情に正直に生きることよりも、自尊心を傷つけないように生きることを選択するようになってしまった・・・。

これが他者との同居を余儀なくされた現代人の孤独であり、悲劇でもあるのだと思います。

漱石の苦悩は痛切です。

どうしたら人間をこの窮屈な人間関係や見栄や技巧から開放できるのか?

そうしたら自分だけを良く見せることだけをやめて、真の意味で他者に奉仕することができるのか?

この人間のエゴの問題は、未だに未解決と言ってよいでしょう。

漱石は、最期に人間関係を平等にして見せました。

ただそれは、ただ平等なだけでなく平等に苦しい存在にしたのだと思います。

漱石の中期の作品を見ると、この孤独は高等教育を受けたインテリに特有のものであるかのような描写がされていましたが、この本『明暗』においては、慎ましやかに市井に暮らす人間達にも、やはり同等の孤独があることが描写されています。

他者がいないと生きて行けない。

一方で他者がいるから生きずらい。

この問題は非常に深刻な問題です。